おバカキャラと格差社会

2008年09月16日

昨日の新聞に書いてあったんだな。
最初に、「おバカ」って言葉が使われるようになった経緯から書かれてあって、遠藤周作の1959年の小説に「おバカさん」というのがあって、随分前からあるのだが、その記事の筆者に印象に残っているのが1998年の映画「オースティン・パワーズ」のコピーに使われた「おバカ映画」らしい。

10年前ってことと、バカを嫌う渋谷で「おバカ」がうけたってのがポイントらしい。

10年後の今、クイズ番組ヘキサゴンから登場した「おバカキャラ」タレントが人気を得ている。
「おバカ」がタレント(才能)として、認知されているってわけだ。

昔は「バカ」というより、「頭の悪い」ことは恥であり、それを人に悟られないようにする、または勉強して知識を増やすなどの「努力」もしくは「あがき」ってものをしていたのだが、ここ最近はその「努力」や「あがき」をせずに、「バカ」を受け入れ、「バカ」でなくなる努力をせず、うりにしているってことになる。

どのようなタレントが人気を得るかってのは、視聴者が何を求めてるのかってことになるのだろうけど、「おバカ」タレントの人気があるってことは、視聴者が「おバカ」を見る事を求めているってことになる。

以前は「ボケキャラ」っていうのがあったが、こちらは「ボケ」の内容自体が面白い、ウケていたって感じがするのだが、「おバカ」タレントは、クイズの回答の面白さが受けているというよりも、「バカ」を見る事自体が受けているような気もする。

新聞の記事では、10年前の犯罪や市民の意識などの社会状況から「格差社会」の始まりは10年前っであった。それが「オースティン・パワーズ」の公開と一致しているのは偶然ではないという風なことを書いていて、「おバカ」キャラがうける風潮と格差社会の相関性を述べて、「希望格差社会」という本のことも出てくる。

生活の格差、収入の格差ってのは昔からあるものなんだが、昔の「格差」は「越えることのできる格差」という意識があったと思う。「格差」というよりも単なる「差」もしくは「違い」であると。
「差」はあるが、それは努力や勉強をすることで「差」を越えることができるという「希望」があったわけである。

その「希望」がなくなった時点、もしくは「希望」を持っていたのだが、努力をしたが「差」を越えることが実際には無理だと実感すると「差」は「格差」になるのだろう。
社会の構造的に、努力をしたが「差」を越えることができないとなると「格差社会」である。

大衆が現在の社会は、構造的に努力をしても越える事のできない「格差」があると感じ、希望を失い、努力をしなくなる。
社会の構造が、本当にそうなのかはわからない。しかし、大衆の意識に「努力しても無駄だ」という意識があることが、根の深い「格差社会」の病理であると思うのである。

「おバカ」キャラが大衆に求められる風潮とは、「格差」を乗り越えることができるという希望がなくなったために、最下層にいる者を認めたいというという意識によるものではないだろうか?

格差社会のターニングポイントとして10年前の1998年があげられているが、その当時、自分は塾の講師をしていた。

塾業界の中では「格差社会」ということは、「希望格差社会」という本が出版される前から話題になっていたことだ。

10年ほど前、中学生の成績分布の変化が確定的になったころである。
20年ほど前までは、中間の成績の生徒が最も多く、上位、下位がすくないという成績分布であったが、徐々に上位、下位が多くなり、中間が少なくなるという分布に変化してきた。
1998年では、それが確定してきた。

そのような分布になると、授業を行う際に一斉授業では困難になり、最終的には成立しなくなる。
下位の生徒は、授業を理解できない。上位の生徒は既に塾で学習しているのでわかりきったことで面白くない。

一斉授業が成立しなくなったので、塾では一斉指導から、個別指導へ切り替える流れが起こり始めた。
個別指導に切り替えると、必然的に塾の授業料は高くなる。
塾の授業料が高くなると、経済的に余裕のない家庭の子供は塾に行けなくなる。
学校の一斉授業は、塾に通っていて既にわかっている生徒と、塾に入っていなく理解できない生徒によって、成立していない。
塾に通う生徒と、通えない生徒の学力の差は更に広がる。
学力の差が広がると、一斉授業は更に成立しなくなる。

そのような悪循環の結果、授業も関心のない生徒の割合が増え、「学級崩壊」という現象が起こるようになった。

また、ちょうどその頃の学習指導要領には「個性を重視する教育」というものがあった。
学力の差に苦労した学校は、授業についていけない学力の低い生徒には、学力を上げるということに「努力」するよりも「個性」を重視する傾向にあった。

10年前から始まった、教育の世界でのこのような流れから、今後確実に「格差社会」が到来すると、塾業界では既に言われていた。

「おバカ」キャラとして、人気を得た6人の芸能人や20代の若者は、ちょうどこの頃中学生であったもの達だ。

こちらの方が、偶然ではない。

「おバカ」キャラの人気により、その事に対して、意見を書くブログ等が他にも沢山でてくるだろう。
そのことが、社会や教育などの見直しに繋がるならば、彼らの気が付かない功績となるだろう。

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小泉元首相「今は、何もいえねぇ」

2008年09月12日

昨日の発言だが、今日になってニュースやワイドショウでこの内容が報道される際に、アナウンサーが「『今は、何も言えねぇ』と発言」なんて記事を読むから、「そんな言葉使いで言ったのか?」って、びっくりします。

けど、これって、北島康介のマネて言ったんですよ。

「北島康介君じゃないけど、今は何も言えねぇってとこですね」みたいな感じでね。

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宮里藍のスウィング改造

宮里藍は不調だったらしい。


ドローボールしか打てなかったが、フェードを打てるようにスィングを改造したらしい。

アメリカのコースでは、コースがどのようなボールが打てるのかを要求してくるとのこと。

グリーンの手前にピンがあることが多いらしい。

玉が地面に着地後に伸びるドローボールよりも、玉が地面に着地後失速するフェードボールを要求されるらしい。

それで、シーズン中にもかかわらず、フェードボールが打てるようにスウィングを改造した(している途中?)らしい。

フェードを打てるようにスウィングを改造しているので、ドローもうまくうてなくなった、結果さらに不調になっていたらしい。

しかし、ゼロにもどってフェードをほぼマスターし、不調からの回復してきているらしい。

僕は、ゴルフに詳しくない。
昨日のニュースで見た。

スウィング改造の練習法のひとつとして、1分ほどの時間をかけてスィングの素振りをする。

体の細部にまで神経を尖らせ、チェックしながらゆっくりと素振りをする。

あの練習はなかなか出来るものではない。
まず、わずか1分のようであるが、普通1秒足らずやることを、それだけゆっくりするには、とても集中力がいる。

また、不調で結果がでないときには焦りもあり、それも集中力を阻害する要因になる。

本人、インタビューで曰く
このスランプによって、人間的にかなり大きくなったようだ。

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