レッド・ガーランド

2008年10月24日

最近のお気に入りは、レッド・ガーランドだな。

ジャズのピアニストです。
絶頂期は50年代の終わりですかね。

マイルス・デイビスのQuintetに参加していたころでしょう。

結局、マイルスと喧嘩別れしたんだと思うけど。
まぁ、殆どのミュージシャンがマイルスと喧嘩別れしてるんじゃないかな?

レッド・ガーランドのピアノは、オーソドックスなスタイルです。
如何にも、ジャズらしいジャズ・ピアノと思います。

以前は、セロニアス・モンク、バド・パウエル、ビル・エバンス、ハービー・ハンコックなど、ジャズの歴史的に「革命的」だった少し癖のあるピアニストが好きだったのですが、最近はレッド・ガーランドのような、オーソドックスなジャズ・ピアノが好きです。

レッド・ガーランドが偉大ではないと言う意味では、ありません。
50年代の中期から後期、マイルスのバンドに参加していたとき、ベーズのポール・チェンバースとドラムのフィリー・ジョー・ジョーンズとレッド・ガーランドのリズム・セクションは、当時最高のリズムセクションと言われていたわけです。

リズムもいいです。特に左手のバッキングがすごいです。スイング氏まくります。
音もとても繊細で美しいです。
よく、珠玉のピアニストと形容されます。

しかし、「革命的」「前衛的」かと言うと、やはりそうではないと思います。

前出のセロニアス・モンク、バド・パウエル、ビル・エバンス、ハービー・ハンコックなどは、ある意味個性が強いので、「わかりやすい」です。
特に、セロニアス・モンクなんかはね。
ジャズって、同じに聞こえるけど、モンクは、直ぐに「これ、モンクだ」ってわかりますから、ジャズ好き以外の音楽好きの人、特にロック系の人に反応がいいです。

そのような「革命的」「前衛的」「個性が強い」ピアニスト以外にも、たくさんのピアニストがいるわけです。

その中でも有名なのが、ウィントン・ケリーとか、ソニー・クラークとか、トミー・フラナガンとか、ハンク・ジョーンズとか、ケニー・ドリューとかになるかと思います。

第二線みたいな感じですね。
レッド・ガーランドも第二線のピアニストかなと思います。

けど、他の第二線クラスのピアニストよりも、断然聴いていて気持ちがいいです。

ソニー・クラークは、バッキングするときにうるさすぎます。
左手も、バターとした感じだし。

最近は、レッド・ガーランドがお気に入りという話でした。

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阿久 悠と遠藤 周作

2008年10月15日

ダークダックスのアルバムに「父と娘」(ちちとこ)というものがある。

CD化されていなくて、LPしか存在しないらしい。
それで、アナログをデジタル化する依頼を受けた。

その「父と娘」というアルバムは、成長して結婚する父親と娘の関係や父親の心情を歌った曲が集められている。
というか、このアルバム用に作られたのであろう。
結婚式で使える曲というか、結婚式で使われることを狙ったのではないかと思われる。

昭和51年 ダークダックすはアルバム「父と娘」で第9回日本作詞大賞LP賞を受賞している。
収録されている10曲のうち、半分の5曲を阿久悠が作詞している。
残りは、4曲が林春生、1曲が石田柳子が作詞している。

阿久悠が作詞している曲に「あんな男に惚れちまって」という曲がある。
アルバム中、この曲のみ遠藤周作がリードボーカルを歌っている。
ダークダックスは遠藤周作のバックコーラスで参加している。

娘に付き合っている男性を紹介された後の、父親の心情を歌にしたものだ。

サビの歌詞はこんな風。

今日は私の最悪の一日だ
あの野郎 泥棒め 娘泥棒め
あんな男に惚れちまって馬鹿め
いいやつらしいが 腹立たしいよ


サビ以外では
あんな男に惚れちまって 馬鹿め
私のしつけが甘かったんだ

とか
学校の自慢など ペラペラしゃべり
世間知らずの 済んだ目をしやがって

など
酔っ払って愚痴を言う嫌な父親が描かれている。
曲は軍歌調。それを遠藤周作が歌う。

実に嫌な感じである。

それで、この歌を歌う遠藤周作だが、サビの歌詞を間違える。
サビの一番最後の
いいやつらしいが 腹立たしいよ

という歌詞を
いいやつらしいのが 腹立たしいよ

と歌詞カードとは、違う歌詞を歌う。

サビは2回来るので、1回目は間違ったのだろうと思ったら、2回目も「いいやつらしいのが」と歌う。

「いいやつらしいが 腹立たしいよ」なら、まだ可愛げがあるが、「いいやつらしいのが 腹立たしいよ」となると、本当に嫌な親父である。

遠藤周作はわざと間違えたのだろうか?

間違った歌詞で録音をしてしまった後、作詞家の阿久悠は何も言わなかったのか?
プロデューサーの三坂洋は、録音しなおそうとはしなかったのか?

もし、2回とも「いいやつらいいのが」って歌い、阿久悠もプロデューサー三坂洋も、「それで行こう」ってことになったんなら、歌詞カードもそうすればいいのに、歌詞カードには「いいやらしいが」になっている。
そこまで、「いいやつらしいが」の歌詞にこだわるんなら、録音し直せばいいのにって思うが、そうはしていない。

いろんな想像をしてしまいますね。
やっぱ、対人面での力関係とかがあったのかなぁとか。

遠藤周作には、「間違っているので取り直しましょう」とは、言えなかったのかなぁとか。
言ったけど、聞かなかったとかね。
2回とも「いいやつらしいのが」って歌っているってことは、ある意味確信犯なのかもしれない。
もしくは、そう思い込んじゃっているとか?

作詞家の心情としては、どうなんでしょう?
「いいやつらしいが」と「いいやるらしいのが」では、随分と意味が違ってきますからね。
前者は、「いいやつ」であることを肯定してますが、後者は「いいやつ」であることまで否定しているんですもの。

そこまで、娘の婚約者を悪く言うんじゃ、最悪の親父ですよ。

作詞家阿久悠は、そこまでこだわりのない人なんでしょうか。

本当にこだわりがないなら歌詞カードも遠藤周作の歌った歌詞にしてくれよって思います。


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Phil Spector(フィル・スペクター)

2007年08月09日

前の記事で突然「フィル・スペクター」の名前を書いたけど、知らない人多いかなと思って補足です。

フィル・スペクターは知らなくても、ロネッツの「ビー・マイ・ベイビー」や映画「ゴースト ニューヨークの幻」の主題歌「アンチェインド・メロディ」は知らないですか。

そのロネッツや、ライチャス・ブラザーズなどのプロデュースを手がけた人です。

ライチャス・ブラザースは「アンチェインド・メロディ」がゴーストのエンディングの曲になったのでこの曲が良く知られていますが、「ふられた気持」の方が名曲です。

フィル・スペクターの手がけたガールズ・グループと言えばロネッツが有名ですが、僕はクリスタルズ、特にダーレン・ラブのボーカルが好きです。

フィル・スペクターは、ドリフターズの「ゼア・ゴーズ・マイ・ベイビー」や「ラストダンスを私に」をプロデュースした、リーバー&ストーラーのもとで、プロデューサーとしての下済みをつみました。

ドリフターズというのは「スタンド・バイ・ミー」で有名な、ベン・E.キングが所属していたコーラスグループです。(なぜ、Eだけアルファベット?)

僕は、フィルスペクターの音が大好きで、特に夏、海に向かうときにはカーステレオで聞きたくなります。

彼の音は「ウォール・オブ・サウンド」(音の壁)と形容されます。
今で言う、爆音ってことなのかもしれません。

スタジオの反響を使った、リバーブが特徴です。
今で言う、音響派かもしれません。

自分にとって、夏うたの定番だったフィル・スペクターですが、巷の評判で名盤だと言われているのがフィル・スペクターのクリスマスアルバム「A Christmas Gift For You」です。

このアルバムを聞いてから、フィル・スペクター=夏・海という思い込みはなくなりました。

日本人でフィルスペクターサウンドを再現しているのは、大瀧詠一です。松本隆もその一人でしょう。

80年代の松田聖子の曲にはフィル・スペクターテイストを感じます。

そして、そのテイストをうまい具合に使ったのがつんくで、あややの「桃色片想い」にも、孫の孫みたいな感じでフィルスペクター影響が間接的に感じるのです。
「も も い ろ の」で二拍三連になるあたりが。

僕はフィル・スペクターサウンドは、ポップス、アイドルの定礎だと思っているのです。

そうそう、フィル・スペクターは60年代の前半に、次々とヒット曲を送り出します。
そして、自分プロデュースするガールズ・グループのロネッツのボーカルのベロニカ・ベネットと結婚します。
しかし、その後離婚します。

今で言う、小室哲也と華原朋美の関係です。



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ジャズという音楽の背景

2007年08月08日

今日は盆踊りに行ってきました。正確には、まだ盆ではないので盆踊りではなく、老人ホームの慰霊祭に行ってきました。

先日、浴衣に付いての記事を書いたので、浴衣の女性をみるのも楽しみにしていたのですが、うちの地区の盆踊りはどうもそういう雰囲気ではありません。

若者が、野外ロックフェスティバルなみの盛り上がりで踊ります。
若者主体の盆踊りチームが複数より集まり、それぞれがチームのそろいの浴衣を着ていますから、ぴったり21で見たような浴衣は見られませんでした。
老人ホームの職員の女性が何人か浴衣を着ていましたけどね。
いろいろと、裏方で大変そうでしたね。



さてさて、ここまでは前振りで、ジャズという音楽の形態について少し自分の思うことを書いてみようと思っています。

「ジャズという音楽の定義は」なんてことを議論すると、必ず泥沼に入っていくことになります。
ですから、ジャズという音楽の定義は棚に上げといて、強引に話を進めていきます。

最近は、あまり聞かなくなったかもしれませんが、ジャズは良く都会的な音楽と言われます。

1950年代、60年代に旺盛だったレコードレーベルの「ブルーノート」や「リバーサイド」はニューヨークにありましたし、スイートベイジルやビレッジバンガードなどのジャズクラブもニューヨークにあります。
ですので、50年代、60年代のジャズであるビバップやハードバップは都会的な音楽と言って差し支えはないと思います。

その頃のアメリカという国で暮らす人々の生活は、どのようなものだったのでしょう?

アメリカの工業化は、第一次世界大戦から1920年代にかけて大きく進展しました。世界恐慌によって、大きく衰退しましたが、第二次世界大戦の軍需により復活し、世界最強の工業国へと発展しました。

それまで、農村部で生活をしていた人たちが都市部へと移住し、工場で働くことになります。

南部の綿花農場で働いていた黒人が北部、東部へと大移動をしました。

この南部から移住してきた黒人達によって、都会的なジャズが形成されていったわけです。

先祖代々の土地で農業を営む農村部と違い、都市部には多くの移民が入ってきたわけです。

僕は、盆踊りという文化はとても農村的だと思っています。農村的だと言うよりも、定着したコミュニティーの音楽の形態だと。

うちの市郡もちょっと地区が違うと、知らない踊りが存在します。そして、みんなが輪になり同じ踊りをします。
その踊りを知らなければ、輪に入ることはできません。
もちろん、知り合いがいれば踊りがあやふやでも、教えてもらいながら輪に入って踊ることは出来ます。
気持ちが排他的でなければ、参加することは出来るんですけどね。
しかし、その踊りと音楽の形態は、見ず知らずの人が一人で参加しずらい形態です。

しかし、ジャズという音楽はどうでしょう?
コード進行とテーマを抑えておけば、一緒に演奏をすることが出来ます。
見ず知らずの人が、楽器ひとつ持って来ても、一緒に演奏できます。
ジャズという音楽は、そういうルールで演奏が進行します。

そいういった音楽の形態が都会的だなと思うのです。
特にビバップですね。ハードバップになるとバンドという形態が出来てきますし、録音もアルバムという概念が入ってきますから。
音楽産業の発展という背景と、住民の移動が落ち着いて来たのが原因かもしれません。

それと、1950年代にはビートニクの思想というものがあります。
ウィリアム・バロウズ、ジャック・ケルアックやアラン・ギンズバーグに代表される50年代のカウンター・カルチャーです。

僕はビートニクというと、一ヶ所定住せず、土地やマイホームなどの不動産を所有せずに、放浪・移住して生きる人々というイメージがあります。
後々のヒッピーですね。

ですから、50年代のジャズはやはりビートニクの影響を受けているのではないかと思うのです。

バンドでやる音楽っていうのは、ある程度の期間メンバーと共に練習をしなければ出来ません。
特に、オリジナルを作って成長・発展をさせていくにはですね。

しかし、ビバップは個人練習です。
実際、ビバップの演奏はアドリブに入ると、曲の印象よりも演奏者の印象のほうが強くなります。
ジャズに詳しくない人には、全部同じに聞こえてしまうことでしょう。
これじゃあ、聞いているほうは面白くないので、ハードバップへ変化していったんでしょう。

バンドでスタジオに入って練習をしなくても、人前で演奏が出来るジャズをある人はサラリーマン向きの音楽だと言っていました。

出張の際に、ジャムセッションが出来る場所探して尋ね演奏をする。
転勤の多い人が、その転勤先の土地でセッションの参加し演奏をする。

そのようにひとつのバンドに長く加入せずに演奏をしている人を見ると、都会的ジャズマンだなといつも思います。




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